「火」
確かに、我々人間は火を得たことで進歩できた。
高度な文明を築いてきた。
豊かな文化社会を創出し、幸福な人生生活を満喫できている。
全て火の恩恵といえるでしょう。
あの「火」はどうでしょう。
あれは、我々を不幸にするべく生まれた。
そして、実際巨大な「業火」となった。
我が日本は、過去数度にわたり、それを受け入れた。
その後、我々の生活、文明文化に貢献する「火」と謳われた。
一見、「幸福の為」の道具となったかに見えた。
だが、やはり、最初の時以上の多数の不幸を発生させた。
それは、あの「火」の誕生の経緯を思えばよくわかるはず。
いかに恐ろしい「火」であるかを理解できるはず。
大規模コンビナート「火」災、大規模な山「火」事。
その被害は限定的である。しかし、……。
あの「火」の被害は途轍もなく甚大なのである。
確かに今回、人命に対し「直ちに」被害はないと報告されている。
だが、その他の被害は20kmや30kmに限定されない。
我々が失ったものの大きさは計り知れない。
住めない、食べられない、飲めない、売れない、買えない、
使えない、触れない、来てくれない、信じてくれない、……。
「幸福の為」から得られた幸福など吹っ飛んでしまった。
やはり、あれは我々を不幸にする「火」だったのです。
やはり、あれは我々の扱えない「火」なのです。
扱ってはいけない「火」なのです。
科学者、技術者さえも最終的にはコントロール不能なのです。
そんな「火」は扱ってはいけないません。
過度の文明を我慢しましょう。
わずかな物と引き替えにして失った物の大きさを考えましょう。
そこにこそ、我々の叡智を向けるべきです。